November 21, 2005
ママ
で、そのスラム宅で庶民料理を御馳走になり、ビールを飲んできました。
この料理は、ヤムママーといいます。
日本のタイ料理店などで、「ヤムウンセン」という料理を食べた人も多いともいます。
“ヤム”とは日本で言うサラダの事で、ヤムウンセンは、ウンセン入りサラダ、ということになります。
では、ヤムママーは?というと、サラダの中に乾燥麺(インスタント麺)が入っています。
なぜ「ママー」なのかというと、商品名がママーというインスタント麺を、そのままサラダの中にぶち込んでいるからです。
タイの食品メーカーも「ママの手料理に是非!」とか、「このラーメンでママの味を思い出して!」って事で、このラーメンを“ママー”という商品名で売ってるんでしょうが、実際インスタントラーメンくらいで、『母』みたいな名前を付けちゃうなんて・・・
さて、素材があまりにもショボすぎるせいか、日本のタイ料理屋などで、この料理をメニューに入れて出している店は、かなり少ないです。
でも在タイの僕には、この乾燥麺入りサラダは、日本のインスタント焼きそばみたいなもんで、忘れた頃に食べたくなるメニューの一つです。
色を見てもわかるように、これでもか!というくらい唐辛子が入っています。
これで20Bでしたが、こんなに安い素材で作る料理も、ここでしか食べれない味で、日本から帰ってきて久々に食べる時は、タイにいる事を実感しちゃう味です。
本場には、日本のタイ料理屋に無いメニューが、まだまだたくさんありますが、またいつか紹介します。
※喰い終わる頃には辛さでヒーヒー唸ってます でも美味しい。 ひょとして、これが母の味なのか・・・
この料理は、ヤムママーといいます。
日本のタイ料理店などで、「ヤムウンセン」という料理を食べた人も多いともいます。
“ヤム”とは日本で言うサラダの事で、ヤムウンセンは、ウンセン入りサラダ、ということになります。
では、ヤムママーは?というと、サラダの中に乾燥麺(インスタント麺)が入っています。
なぜ「ママー」なのかというと、商品名がママーというインスタント麺を、そのままサラダの中にぶち込んでいるからです。
タイの食品メーカーも「ママの手料理に是非!」とか、「このラーメンでママの味を思い出して!」って事で、このラーメンを“ママー”という商品名で売ってるんでしょうが、実際インスタントラーメンくらいで、『母』みたいな名前を付けちゃうなんて・・・
さて、素材があまりにもショボすぎるせいか、日本のタイ料理屋などで、この料理をメニューに入れて出している店は、かなり少ないです。
でも在タイの僕には、この乾燥麺入りサラダは、日本のインスタント焼きそばみたいなもんで、忘れた頃に食べたくなるメニューの一つです。
色を見てもわかるように、これでもか!というくらい唐辛子が入っています。
これで20Bでしたが、こんなに安い素材で作る料理も、ここでしか食べれない味で、日本から帰ってきて久々に食べる時は、タイにいる事を実感しちゃう味です。
本場には、日本のタイ料理屋に無いメニューが、まだまだたくさんありますが、またいつか紹介します。
※喰い終わる頃には辛さでヒーヒー唸ってます でも美味しい。 ひょとして、これが母の味なのか・・・
November 20, 2005
久々に
タイに帰ってきて、何が忙しいという訳ではなかったけど、色々な事で時間を取られ、生活のペースをつかめずにいた。
10日ほどタイを離れていたので、その分のしわ寄せがきているのだろう。
もちろん、「ブログ(日記)に、今日の、この出来事を書こう」とか、そんな事を考えてる余裕も無かった。
しょうもない雑用で一日が過ぎていく感じ。
やっと今日になって暇が出来たので、以前僕が旅行者の頃遊びに来ていた地域に、久々に足を伸ばしてみた。
当時20代後半の僕にとって、ここバンコクは、なんとも刺激の強い町だったが、
そんな中でも、スラム街で暮らした日々は本当に面白かった。
旅行者だった僕は、タイの空港に到着すると、そのままスラムの友人宅に直行。
海にも行かず、名所観光もせず、毎日朝から晩まビールを飲み、ただ写真を撮るだけの滞在でした。
そんな期間中に色々な事があり、同時に「タイに住んでみたい」と思い始めた時期でもありました。
スラムの家は、湿地の上に建っていることも多く、写真のように、チョッとした高床式になっています。
で、住人は、家で出た生活のゴミを、自宅の窓からそのまま捨てるので、このように家の周りがゴミ捨て場状態になっています。
何も気にせずに、次から次へと自室の窓からゴミを投げ捨てる彼らに、思わず笑っちゃいました。
でも、彼らは自分の部屋の中だけは毎日綺麗に掃除してて、「俺は綺麗好きだから!!」とか言うんです。
そこで、また大笑いでした。
※スラムの光景。 毎日水面を眺めていると、ゴミが綺麗に見える時間帯もありました。
10日ほどタイを離れていたので、その分のしわ寄せがきているのだろう。
もちろん、「ブログ(日記)に、今日の、この出来事を書こう」とか、そんな事を考えてる余裕も無かった。
しょうもない雑用で一日が過ぎていく感じ。
やっと今日になって暇が出来たので、以前僕が旅行者の頃遊びに来ていた地域に、久々に足を伸ばしてみた。
当時20代後半の僕にとって、ここバンコクは、なんとも刺激の強い町だったが、
そんな中でも、スラム街で暮らした日々は本当に面白かった。
旅行者だった僕は、タイの空港に到着すると、そのままスラムの友人宅に直行。
海にも行かず、名所観光もせず、毎日朝から晩まビールを飲み、ただ写真を撮るだけの滞在でした。
そんな期間中に色々な事があり、同時に「タイに住んでみたい」と思い始めた時期でもありました。
スラムの家は、湿地の上に建っていることも多く、写真のように、チョッとした高床式になっています。
で、住人は、家で出た生活のゴミを、自宅の窓からそのまま捨てるので、このように家の周りがゴミ捨て場状態になっています。
何も気にせずに、次から次へと自室の窓からゴミを投げ捨てる彼らに、思わず笑っちゃいました。
でも、彼らは自分の部屋の中だけは毎日綺麗に掃除してて、「俺は綺麗好きだから!!」とか言うんです。
そこで、また大笑いでした。
※スラムの光景。 毎日水面を眺めていると、ゴミが綺麗に見える時間帯もありました。
November 18, 2005
戻りました
数日前にタイに戻ってきました。
いつもの事ですが、飛行機からタイの街灯りが見えてくると 「あぁ、また来ちゃったな 」 と考えます。
“またきちゃった” と感じるのは、無意識のうちに時間を振りかえっているからなのでしょう
※太平洋上空。夜の空は真っ暗かと思っていたけど、月明りで真っ白な雲が広がっていました
いつもの事ですが、飛行機からタイの街灯りが見えてくると 「あぁ、また来ちゃったな 」 と考えます。
“またきちゃった” と感じるのは、無意識のうちに時間を振りかえっているからなのでしょう
※太平洋上空。夜の空は真っ暗かと思っていたけど、月明りで真っ白な雲が広がっていました
October 31, 2005
写真の選手、知ってますか?
2.3日前に撮影先のナコーンラチャシーマー(コラート)より戻りました。
写真の選手に興味があり自分の興味本意だけで行ってきちゃいましたが、
次回の格通(11月8日売り)「チャイスー」で、感じたことを書かせてもらいました。
昼は写真撮って、夜はイサーン料理食いまくって、なかなか良い旅でした。
はぁ・・次はどこに出かけようかな。
写真の選手に興味があり自分の興味本意だけで行ってきちゃいましたが、
次回の格通(11月8日売り)「チャイスー」で、感じたことを書かせてもらいました。
昼は写真撮って、夜はイサーン料理食いまくって、なかなか良い旅でした。
はぁ・・次はどこに出かけようかな。
October 25, 2005
悲願のー…
10月22日バンコク近郊、ノンタブリで行われた興行で、マサ・KRSジムがWPMF140Pタイトルを懸けて闘った。。
このWPMFタイトルは2004年にタイで発足したばかり。歴史は浅いが、過去に加藤督朗や輝浪もこのタイトルを獲得している。タイ国内でこれから、ますますレベルアップが注目されるタイトルだ。
マサ選手は、ウボン県、同市のKSRジムで一年ほどムエタイを特訓。
それまでは日本では格闘技の試合、練習経験も全くなかったというが、この1年でなんと、ムエタイ20戦をこなし、そのうち約8割をKO勝ちで収めていた。
この実績に目を付けたペッテンディープロモーションが、今回空位だった王座決定戦に起用したわけだ。
相手のダニエル(南アフリカ)もかなりのハードパンチャーだった。しかし過去のチャイスーに書いたようにムエタイでは足技重視の採点基準。
日本のキックは、選手個々の得意技でブッ倒せばいいが、ムエタイでは万が一判定だった時の事も考え、総合的に足技を出せないと勝てない。
パンチでは、いくら攻めてても、相手が、かなりグラグラするまで強打を当てないとポイントとはみなされない事が多いからだ。
ムエタイでポイントを取る闘い方は作戦がモノをいう。KRSジムを経営するSs木氏も、組んでの膝蹴りで攻めるよう、的確に指示を出した。
マサ選手は、まだムエタイをはじめて1年だというが、僕が見た在タイ日本人の中でも、かなりムエタイ選手に近い闘い方だった。タイで過去に60戦を闘ったSs木氏の指導そものだろう。
ジャッジの判定は…「マサ選手」だった。
Ss木氏は、「彼は上手さや、才能は全然無かった。でもこのベルトは本当にマサ本人の努力だけで獲ったベルトです」と、満足気に答えてくれたが、しかしSs木氏の日常を知る私は、彼の日々の徹底した指導の賜と考える。
そしてマサ選手のベルトを巻く表情からも、“努力”のベルトという言葉が見てとれた。
ベルトを巻く瞬間、涙をこらえる眼をしていたが、そんな時は思いきり嬉し泣きしちゃえばいいのに…
さて、マサ選手だが次戦が既に決まっている。12月4日、王宮前広場で行われる、国王生誕記念興行で初防衛戦を迎える。
タイには、こんな日本人ボクサーも沢山います。日本のキックボクサーも負けずに頑張って!!
S田は今日からコラートに撮影旅行です では。
マサの特訓したKRSジム
http://www015.upp.so-net.ne.jp/sasaki-muaythai/
※
マサ選手は、接近戦を制した。膝蹴りも良かったが、肘もえぐかった。
※
「Ss木サン、あなた、とても良い選手育てるねー」
会場でルンピニーNo1スィエナオプロモーターに、いきなり言い寄られ一瞬焦る?KRSジムS氏
このWPMFタイトルは2004年にタイで発足したばかり。歴史は浅いが、過去に加藤督朗や輝浪もこのタイトルを獲得している。タイ国内でこれから、ますますレベルアップが注目されるタイトルだ。
マサ選手は、ウボン県、同市のKSRジムで一年ほどムエタイを特訓。
それまでは日本では格闘技の試合、練習経験も全くなかったというが、この1年でなんと、ムエタイ20戦をこなし、そのうち約8割をKO勝ちで収めていた。
この実績に目を付けたペッテンディープロモーションが、今回空位だった王座決定戦に起用したわけだ。
相手のダニエル(南アフリカ)もかなりのハードパンチャーだった。しかし過去のチャイスーに書いたようにムエタイでは足技重視の採点基準。
日本のキックは、選手個々の得意技でブッ倒せばいいが、ムエタイでは万が一判定だった時の事も考え、総合的に足技を出せないと勝てない。
パンチでは、いくら攻めてても、相手が、かなりグラグラするまで強打を当てないとポイントとはみなされない事が多いからだ。
ムエタイでポイントを取る闘い方は作戦がモノをいう。KRSジムを経営するSs木氏も、組んでの膝蹴りで攻めるよう、的確に指示を出した。
マサ選手は、まだムエタイをはじめて1年だというが、僕が見た在タイ日本人の中でも、かなりムエタイ選手に近い闘い方だった。タイで過去に60戦を闘ったSs木氏の指導そものだろう。
ジャッジの判定は…「マサ選手」だった。
Ss木氏は、「彼は上手さや、才能は全然無かった。でもこのベルトは本当にマサ本人の努力だけで獲ったベルトです」と、満足気に答えてくれたが、しかしSs木氏の日常を知る私は、彼の日々の徹底した指導の賜と考える。
そしてマサ選手のベルトを巻く表情からも、“努力”のベルトという言葉が見てとれた。
ベルトを巻く瞬間、涙をこらえる眼をしていたが、そんな時は思いきり嬉し泣きしちゃえばいいのに…
さて、マサ選手だが次戦が既に決まっている。12月4日、王宮前広場で行われる、国王生誕記念興行で初防衛戦を迎える。
タイには、こんな日本人ボクサーも沢山います。日本のキックボクサーも負けずに頑張って!!
S田は今日からコラートに撮影旅行です では。
マサの特訓したKRSジム
http://www015.upp.so-net.ne.jp/sasaki-muaythai/
※
マサ選手は、接近戦を制した。膝蹴りも良かったが、肘もえぐかった。
※
「Ss木サン、あなた、とても良い選手育てるねー」
会場でルンピニーNo1スィエナオプロモーターに、いきなり言い寄られ一瞬焦る?KRSジムS氏
October 19, 2005
I牧氏 参上
18日午後、元、日豊企画のI氏から突然電話がかかってきた。
I氏とS田は、とても古い仲で、S田がデビュー戦の当日計量に立ち合ってもらった時から、お世話になっている人です。
デビュー戦当日、高校一年で学校の終業式(7/20)が終わってから後楽園の当日計量に行ったS田は、本来なら、計量遅刻という事で失格扱いになるはずだったのを、当日の計量係だったI氏、そして当時MAキックのレフリーを務めていた鹿島龍氏(元フェザー級王者)2人の計らいで、ちゃんと一選手としてデビュー戦を闘わせてもらうことができたのです。
そんな東京在住のI氏ですが、仕事に暇ができると、ちょくちょくタイ近隣国に旅に来ているようです。
今回はバンコク経由でラオス航空のプロペラ機に乗り、ビエンチャンに行ってきたのだとか。
I氏のビエンチャンの印象は「ここも白人に占領されつつあるのか」とか、なんとか、そんな事ばかり言ってましたが…
要するに、東南アジアの静かだった国が、徐々に外国人からの観光収入に頼っている姿がよく見えた、、な様な事を仰ってました…
まぁ、時間が経てば、その街(国)の良いところも、どんどん変わっていきますよね。みんな金は稼ぎたいし。
さて、I氏が飲みに行こうというので、さっそくS田のスペシャルツアーの始まりです。
先日の日記にも書きかましたが、日本人がまず行かないような店ばかり連れ回しました。
でも、特にヘンな場所を連れ回した訳ではなく、在タイ日本人からみると「ちょっと汚い店」程度の店でしたが、I氏は「スゲー」とか「もぅ、凄くイイよー」の連発で、今までのタイとは違った刺激を受けていたようです。
まぁ、なんちゅうか喜んでもらってたようで、なによりですが、今まで、どんな御上品な旅をしてたんでしょうかね?
I氏は明後日までのバンコク滞在。もし明日もI氏から誘いの電話がきたら、もっと下品なところに案内しようかな。
※
先日の自称歌手さん
I氏とS田は、とても古い仲で、S田がデビュー戦の当日計量に立ち合ってもらった時から、お世話になっている人です。
デビュー戦当日、高校一年で学校の終業式(7/20)が終わってから後楽園の当日計量に行ったS田は、本来なら、計量遅刻という事で失格扱いになるはずだったのを、当日の計量係だったI氏、そして当時MAキックのレフリーを務めていた鹿島龍氏(元フェザー級王者)2人の計らいで、ちゃんと一選手としてデビュー戦を闘わせてもらうことができたのです。
そんな東京在住のI氏ですが、仕事に暇ができると、ちょくちょくタイ近隣国に旅に来ているようです。
今回はバンコク経由でラオス航空のプロペラ機に乗り、ビエンチャンに行ってきたのだとか。
I氏のビエンチャンの印象は「ここも白人に占領されつつあるのか」とか、なんとか、そんな事ばかり言ってましたが…
要するに、東南アジアの静かだった国が、徐々に外国人からの観光収入に頼っている姿がよく見えた、、な様な事を仰ってました…
まぁ、時間が経てば、その街(国)の良いところも、どんどん変わっていきますよね。みんな金は稼ぎたいし。
さて、I氏が飲みに行こうというので、さっそくS田のスペシャルツアーの始まりです。
先日の日記にも書きかましたが、日本人がまず行かないような店ばかり連れ回しました。
でも、特にヘンな場所を連れ回した訳ではなく、在タイ日本人からみると「ちょっと汚い店」程度の店でしたが、I氏は「スゲー」とか「もぅ、凄くイイよー」の連発で、今までのタイとは違った刺激を受けていたようです。
まぁ、なんちゅうか喜んでもらってたようで、なによりですが、今まで、どんな御上品な旅をしてたんでしょうかね?
I氏は明後日までのバンコク滞在。もし明日もI氏から誘いの電話がきたら、もっと下品なところに案内しようかな。
※
先日の自称歌手さん
October 17, 2005
写真の時間です!!
ここで、ちょっと写真の時間です。
普段、S田が撮っている写真を、少しだけアップしてもらいました。
下のウラルから入り、右下の方の「ムエタイ写真の第一人者,フリーカメラマン・S田寛氏の写真ギャラリー」の、ところから入ってください。
べつに、第一人者じゃないんですがね…
ここのHPの掲示板はムエタイ情報も満載ですよ。
http://fire.freespace.jp/private/index.htm
※
さあ、これから在タイの日本人の友人と愚痴大会に出かけます。
前回の愚痴大会(写真)の時は、焼酎飲んで思いきりクダ蒔きました。
普段、S田が撮っている写真を、少しだけアップしてもらいました。
下のウラルから入り、右下の方の「ムエタイ写真の第一人者,フリーカメラマン・S田寛氏の写真ギャラリー」の、ところから入ってください。
べつに、第一人者じゃないんですがね…
ここのHPの掲示板はムエタイ情報も満載ですよ。
http://fire.freespace.jp/private/index.htm
※
さあ、これから在タイの日本人の友人と愚痴大会に出かけます。
前回の愚痴大会(写真)の時は、焼酎飲んで思いきりクダ蒔きました。